学校に行く理由
いじめや担任の先生との不和など、学校に対してなにか嫌なものが明確にあるという子もいますが、不登校になる子どもたちの中には、そもそも学校に行く意味が見いだせない子もいます。
親としては当たり前のように「元気なら学校に行きなさい」と声をかけがちですが、
子ども側からすると「学校に行くこと」は当たり前ではないのかもしれません。
「学校に行きなさい」という親が考えていること
ボクたち大人が子どもの頃は情報ツールが発達していませんでした。そのため、情報源つまり何かを教えてくれる存在はもっぱら身近な大人。
世の中や社会という子どもにとって未知の世界についても、大人に教えてもらい、その通りに成長をすることが必要とされました。学校という存在は最たるもの。今の大人世代が子どもの頃に、世の中や社会というものを学ぶことができる数少ない場所であったわけです。
実際に不登校の子どもを持つお父さんやお母さんも、きちんと進学をして、お勤めをして、一定レベルの幸せを得ている人がほとんどです。あるいは自分がそうでなくても、幸せの形が「きちんと進学をしてきちんと働くこと」と認識をしている人が多いです。そのように自分たちが考える幸せの形がハッキリとしているため、その想定から外れているものを正しいとはなかなか思えません。だからこそ、不登校の子どもに対して
「学校に行って欲しい、学校へ行かないと幸せになれない」
と、親として考えてしまうのでしょう。
「学校に行く意味を見出せない」子どもが考えていること
いまの子どもにとっての情報源のひとつはインターネットです。世の中や社会を知るための情報が、大人や学校からではなく画面の向こうからあふれています。ひょっとすると幼い頃からスマホやパソコンに慣れ親しんできた子どもたちは、アナログ世代のボクやあなた以上に世の中のことを知っているかもしれません。そんな子どもたちにいくら親が
「世の中とはこういうものなんだ、キミが考えているよりも厳しいんだ」と言ったところで
「そんなことは知ってるよ」とかあるいは「なにを古いこと言ってるんだ」、そして「意味がわかんない」となるのです。
子どもは親と違う時代を生きている
子ども世代との情報源の差に気づいていない親世代からすると、
「学校に行く意味が分からない」という主張はただの反抗にしか感じられず
「まだ何も知らない子どものくせに⋯⋯」「学校へ行きもしないで口ばかり達者だ⋯⋯」
学校へ行かなければ勉強あるいは社会勉強も含めて学ぶことができなかった世代と、学校にそこまでの価値があると感じさせないだけの情報をインターネットで得ている世代、との差こそ大人は認識しなければいけません。
(本記事は、REO代表 阿部伸一著 『「不登校」は天才の卵』から一部抜粋・改変したものです)