「学校に行けないなら行かなくていいよ」この一言が言えたら子どもは変わります。以前は予備校や塾しか選択肢がなかったのが、現在では文科省も認めたホームスクールやフリースクール、通信講座など学びの場がニーズにあわせ増えてきました。選択肢の幅の広さで開眼させ、あなたの子どもは人より抜きん出た才能の持ち主として開花する可能性があります。本記事は、REO代表 阿部伸一の著書『「不登校」は天才の卵』より抜粋。まず心の持ちようを変えるきっかけになればと願っています。
あなたは立派な親でなくていい
「よその子に比べてウチの子は……」と思う前にあなた自身のことを考えてみてください。他の家庭の親と自分を比べてはいませんか。特にお母さん――あえてお母さんと限定しますが、女性には「よそのお母さんから見て立派な母親であると思われたい」という傾向が強いように感じます。
また、他人から悪く思われないために子どもを学校に行かせようとする人も多いものです。「他人が何といってもかまわない、ウチの子は天才のたまごなんだ」と思えば、あなた自身がずっと楽になります。
子どものこと以前に、あなた自身が他人と自分を比較することをまずやめましょう。そもそも「隣の芝は青く見える」という諺通り、よその家庭はどこを見ても幸せそうに見えるものです。
特に自分の家庭で「不登校」という問題を抱えている時はなおさらでしょう。けれど、どんな家にだって悩みごとはあります。たとえば有名人の子育てブログを読んでいる人は多いと思います。そこに書かれていることの多くは立派で、素晴らしいものです。
それを見ながら「うらやましいな」「こういう親子、こういう家庭になりたかったのにな」なんていうことを思ってはいませんか。有名人が素晴らしい子育てをしている(ように見える)のは当たり前です。
ブログには書けるようなことしか書いていないのですから。きっと、その裏にはあなたと同じような葛藤や苦悩を抱えているものです。もちろん、子どもにとって「立派な親」であろうとすることは素晴らしいことです。
けれど、何を指して「立派な親」であるのかということをもう1度考えてみてください。子どもは親であるあなたとはまったく別の存在です。だから、あなたの思い通りに成長するわけではありませんし、あなたと考え方が違っても当然です。
それは親が立派であるかどうかということは関係ありません。子どもが独立したひとりの人間であるように、親もまた、人間です。子どものやることが理解できなくても仕方ないのです。
子どもが「学校に行かない」と言いだし、自分の殻に閉じこもってしまった時、イライラするのは当たり前です。そこで最初から「あ、そう。なら行かなくていいよ」なんてことが言える人は逆に子どもに関心がないのではないでしょうか。
「子どものことが理解できない私はダメな親だ」「親である私の教育が悪かったからいけないんだ」なんていうことは思わないでください。イライラしたなら思う存分、イライラすればいいのです。八つ当たりはいけませんが、1度くらいは叱ったっていい。
「なぜウチの子は学校に行かないのだろう」と思ったら、正直に「どうして行かないの?」と聞けばいいのです。聞いてみて初めてその理由がわかることもありますし、「そうか、それなら学校に行かなくてもいい」とそこで初めて言えるのです。
(本記事は、REO代表 阿部伸一著 『「不登校」は天才の卵』から一部抜粋・改変したものです)