「なぜ」の位置を変えてみよう
「なぜ、ウチの子が不登校なのか?」
そう考えてしまうのは自然なことです。けれど、少しだけ言葉を変えてみてください。
「ウチの子がなぜ、不登校なのか?」
「なぜ」の位置をずらすだけで意味が違うものになることがわかるでしょうか。
「なぜウチの子が〜」というのは「よその子は学校に行っているのにどうしてウチの子だけが⋯⋯」という気持ちから発せられる言葉です。
「ウチの子が学校に行かないと近所から変な目で見られる」
「舅や親せきに嫌味を言われてしまう」
「親として恥ずかしい」
といった、あなた自身の世間体を守るための言葉とも言えます。
対して、「ウチの子がなぜ〜」というのは、我が子が学校に行かない本当の理由を探ろうとする親心です。
皆さんには、ぜひ「なぜ」の位置を後ろにずらして考えて欲しいです。
「なぜ」の発想を転換するだけで子どもにしっかり向き合うことができ、それをきっかけに不登校の原因がわかったり、さまざまな問題を解決することができるのです。
学校に行っていない“だけ”
世間体というものは非常に厄介です。誰でも他人からはよく思われたいという気持ちを持っていますし、逆に批判や哀れみを受けることは耐えがたいものでしょう。
けれど、1度、考えてみてください。不登校とはそんなに世間体が悪いものでしょうか。もっとも、学校に行かずに犯罪を重ねている、なんていうことだったら確かに世間体は悪いでしょう。
しかし、あなたの子どもはただ、学校に行っていないだけです。
それでも「不登校は恥ずかしい」と思う方へ
まだ「不登校は恥ずかしい」と思っている人へ質問です。
あなたの息子さん、娘さんの良いところ、好きなところを思いつく限り挙げてください。やさしいところ、正義感が強いところ、足が速いところ、顔がかわいいところ、なんでもかまいません。
その中で「学校に行く」という事柄はどれだけ重要なポイントを占めているでしょうか。
学校に行こうが行くまいが、子どもの素晴らしさは少しも変わらないはずです。毎日学校に行っているいじめっ子に対して、あなたの子どもは劣っているでしょうか。それを考えるだけでも周囲の目は気にならなくなります。
子どもも世間体を気にしている。堂々と連れて出かけよう
また、世間体を感じているのは親ばかりではありません。
子ども自身も自分が学校に行っていないことに対して、世間に対する負い目を感じていることがあります。
他人と同じことができない自分にコンプレックスを感じ、自信を失っている状態です。
そんなとき、味方になるべき親までもが周囲の目を気にしていたら、ますます子どもは傷つき、何かを始める気力もなくなってしまうでしょう。
もっともいけないのは
「ご近所に見られたら恥ずかしいから、昼間は外に出ないで」
なんて言うこと。これは子どもに「何もしないでひきこもれ」と言っているようなものです。
不登校は恥ずかしいものではないのですから、堂々としていてください。
子どもが興味を持っている場所、ものがあったら連れて行ってあげましょう。気晴らしに散歩や買い物に行くのも大いに結構です。そこで知り合いに会い、
「お宅のお子さんは学校に行っていないの?」
と聞かれても、言い訳などする必要はありません。胸を張って
「はい、そうです」
と答えてください。子どもにとってその言葉は、失いかけていた自信を取り戻し、前向きに成長する何よりの力になるのです。
(本記事は、REO代表 阿部伸一著 『「不登校」は天才の卵』から一部抜粋・改変したものです)