はじめに

不登校という言葉に、不安や焦りを感じていませんか?
けれど歴史を振り返れば、不登校を経験した「天才たち」が数多くいます。
本記事では、そんな事例を通して、子どもの可能性について考えてみます。
天才には不登校経験者が多い
不登校の子には天才の気質があるとよく言われています。
有名な話ですが、発明王のトーマス・エジソンは教師とそりが合わないからという理由で小学校を3か月で中退し、それ以降、学校に通ったことはありませんでした。
独学で勉強を続け、少年時代から数々の発明にチャレンジし、のちにさまざまな発明品を世に送り出しています。
彼の母親は息子が化学に興味を持っていることに理解を示し、知的好奇心を満たすことに協力を惜しまなかったと言われています。
幕末の英雄、坂本龍馬も少年時代に通っていた漢塾を退塾し(理由は諸説あり定かではありません)、家で姉から武芸や学問を教わっています。
二人の天才に共通するのが「不登校」。
逆に考えれば彼らが学校に行っていたら歴史に残る偉人にはなれなかったかもしれません。
また、家族がサポートを惜しまなかったという点も共通しています。
もし、そこでエジソンが学校にひきずられて行ったり、龍馬の家族が彼を見捨てていたとしたらその可能性は潰れていたでしょう。
また、芥川賞作家で元東京都知事の石原慎太郎氏は17歳の頃「学校が嫌でたまらなくなり、1年ほど登校拒否をしていた」と自叙伝に綴っています。
最近は不登校に以前ほどのマイナスイメージがなくなったのか、多くの著名人が不登校経験をカミングアウトしています。
そう考えると「不登校=将来が不安」という図式はまったく当てはまらないことがわかると思います。
むしろ「ウチの子は天才なのかもしれない」と安心してもいいくらいではないでしょうか。
だからといってあなたの子どもが将来、エジソンのような大発明家や坂本龍馬のような英雄、作家や政治家になるのかと言ったら、それは違います。
ですが、たとえば「年下の子にやさしくできる」「人に気遣いができる」ということも素晴らしい才能です。
「誰にでも親切にできる」となったら、それは親切の天才です。
不登校ということに限らず、人はそれぞれ、天才のたまごなのだとボクは思っています。
それを孵化させるのに「学校へ行くか行かないか」ということが直結していないということです。
だからこそ、学校に行かなくても人それぞれの才能を羽ばたかせ、成功することができるのだとボクは信じています。
(本記事は、REO代表 阿部伸一著 『「不登校」は天才の卵』から一部抜粋・改変したものです)